誰か教えてください。
このところ、ずっと考えていて、人様と話しながら考えをまとめようと努力しつつ、でもよくわからないことがあるんです。まずは聞いて頂けますか?その上で、御意見を頂けると嬉しいです。
アベノミクス、というか、政権が交代して三カ月が経ち、政府のアクションとして主だったことと言えば、インフレターゲット論に懐疑的であった日銀総裁を支持する人に交代した程度。確かに、公共事業等への資本投下等のアナウンスはあったものの、予算の成立やその実行までまだ時間があると考えると、事実上何がどう国の政策の実務実効面において変わったものはない、という理由にあります。
アナウンス効果に伴って、株式市場は急激に上昇し(お陰で世界中の株式市場も同じく上昇し)、20% 前後の対米ドルでの円安も(ということで他の通貨に対する円安も同時に) 進行し、日本の産業の根幹の一つである輸出企業にとっても追い風が吹いた、とはされています。
しかしながら、株式市場は市場参加者の将来への予想の反映が大きくその要素を占めるものである以上、実社会の好況が今回の上昇を裏付けているわけではなく、また掛かる上昇の下支えになっているものと理解するには、輸出企業の外貨建て資産や収益の評価額が円建てで増加した、という評価という仕組み上の結果の産物を除くと、材料が乏しいように思えます。
いいかえると、現状が期待先行のムードが漂っている状態、とした場合に、果たしてどれだけ現実がついていけるか、なのです。
というのも、政策としての公共事業投資の拡大を行ったとしても、その経済的恩恵を受けるのは明らかに公共事業に携わる一部の企業のみであって、そこから経済的波及が期待できるのか、という疑問があり(その経済的波及が期待できない理由は後述とします)、このところの株式市場の上昇の恩恵を受けているのは当然市場参加者であって、もし個人に目を向けたとしたら、ざっくり言えば個人のうち2割程度しか証券口座をもって運用していないとされている現実を踏まえれば2割程度の人のうち、利益確定出来た人たちだけが恩恵を受けただろうことになるので、実が限定的でしかなく、企業や年金といった市場参加者も同様に保有資産の評価額が上がっただけにすぎない、のです。
残るはインフレターゲット政策達成のための市場への(無制限)資金供給の効果ですが、これによって市中への現金等が増加することで貨幣価値が下がりインフレが起こることを期待する、という中学校や高校の教科書に書いてある様なことなわけですが、これが一番懐疑的に思っているのです。
というのも、過去において金融緩和政策を取り続けてきたこの国において、一旦市中銀行にまで資金がたどり着いたとしても、そこから先、すなわち個人や企業に対して資金供給できる唯一の手段である「融資」と言う形でどれだけ信用残高を積み上げることが出来るか、というのが一つ。というのも、企業の手持ち資金の多さから融資への需要がどれだけあるか、もしくは需要を掘り起こすことが出来るのか、また、個人もローンを受けて住宅や自動車などの購入需要と言うのがどれだけあるのか、と言う点で疑問があるのです。この20年で企業も個人も生活防衛の概念がかなり進んだ結果、所有権より利用権への選別が進んだこともあって、融資を受けての投資に対してかなり懐疑的になっている部分が強いのではないか、と思うのです。いわば、借金までして買いたいか?という疑問と常に戦ってきていて今さらそこを変えられないだろう、という点です。
また、銀行側も、融資というものに対して過去の失敗を受けての当局の従前からの指導も含めて、選別的になってきているのも事実でしょう。となると、需要と供給のミスマッチということも起こりえる状況が改善されていないだろうことも考えるべきところです。その意味では銀行が本来の役割であるリスクの調整役になりきれないのではないかという懸念があるように思うのです。
そして、万が一、個人や企業と言った消費の担い手に資金が金融システムからたどり着いたとしても、その購買力をもってモノやサービスの価格が上がるのか、という根本的な疑問をすべきだと思うのです。過去20年にわたってこの国はデフレでした。ものの値段自身、上がりも下がりもしていない、むしろ下がったものの方が多いという実感の中において、今年初めだったかの、日経の調査では20年前のものの再調達コスト、という意味でいれば長期消費財は半額から3割引きになっています。これは、誰もが思うことですが、価格上昇がない中でものの品質の向上が継続的に行われ続けてきた、いいかえると品質の向上とその努力が価格に転嫁されない、従って、売り上げという意味では単価あたりでも総額あたりでも横ばい、で20年が過ぎてきた、ということなのです。サービスにしても同様で、極端な話、高級ホテルのホテルのベルボーイのお辞儀を今ではコンビニエンスストアーですら見る訳ですので、単純に価格の競争だけに限らず、付加価値的質の向上も低価格化の流れに陥っているとすら見えてきます。
その背景はなんでしょう。売れない時代に如何に売るか、という競争が生んだ産物だと考えるべきではあるものの、他方で商品やサービスの供給過多である、ということではないかと考えてもよいように思えるのです。そうすると、資金供給が潤沢に行われて購買力が上がったかに見えるものの、供給がそれを上回れば価格の上方修正は行われづらくなるのではないか、と。オークションを見れば一目瞭然でしょう。たった一つのものを出品して、それが魅力的であれば値段はおのずと上昇します。しかし、魅力的なものであれ多数出品すれば出店者の言い値で売れるものの、そのようなものが多数の出店者によって同じく大量に出されたならば出店者間で価格競争になる、のは自然と理解できるのではないでしょうか。
とすれば、名目的な売上額は変わることはなく、結果として物価も横ばいになる、もしくは購買層が人口の減少に伴って減るに伴って減少し、当然そこから発生する人件費も上昇できるはずもなく、従って従業員や役員の給料もあがることもなく、購買力があがることを期待できるはずもなく、なので質の向上を引き続き期待していく、というトラップから抜け出せない、ようにしか思えないのです。
そう考えると、もはや従来の市場に資金を流し込めばインフレを作り出すことが出来る、という教科書に書かれた世界と違うルールの世界に突入しているのではないか、という気がしているのですがどうなのでしょう。それとも、何か従来のフレームワークの中でも十分機能し得る何かがまだある、というのでしょうか。
まぁ、ざっくりかいつまんだ論点だけの議論にすぎないので穴だらけではあるものの、ご意見お待ちしております。
アベノミクス、というか、政権が交代して三カ月が経ち、政府のアクションとして主だったことと言えば、インフレターゲット論に懐疑的であった日銀総裁を支持する人に交代した程度。確かに、公共事業等への資本投下等のアナウンスはあったものの、予算の成立やその実行までまだ時間があると考えると、事実上何がどう国の政策の実務実効面において変わったものはない、という理由にあります。
アナウンス効果に伴って、株式市場は急激に上昇し(お陰で世界中の株式市場も同じく上昇し)、20% 前後の対米ドルでの円安も(ということで他の通貨に対する円安も同時に) 進行し、日本の産業の根幹の一つである輸出企業にとっても追い風が吹いた、とはされています。
しかしながら、株式市場は市場参加者の将来への予想の反映が大きくその要素を占めるものである以上、実社会の好況が今回の上昇を裏付けているわけではなく、また掛かる上昇の下支えになっているものと理解するには、輸出企業の外貨建て資産や収益の評価額が円建てで増加した、という評価という仕組み上の結果の産物を除くと、材料が乏しいように思えます。
いいかえると、現状が期待先行のムードが漂っている状態、とした場合に、果たしてどれだけ現実がついていけるか、なのです。
というのも、政策としての公共事業投資の拡大を行ったとしても、その経済的恩恵を受けるのは明らかに公共事業に携わる一部の企業のみであって、そこから経済的波及が期待できるのか、という疑問があり(その経済的波及が期待できない理由は後述とします)、このところの株式市場の上昇の恩恵を受けているのは当然市場参加者であって、もし個人に目を向けたとしたら、ざっくり言えば個人のうち2割程度しか証券口座をもって運用していないとされている現実を踏まえれば2割程度の人のうち、利益確定出来た人たちだけが恩恵を受けただろうことになるので、実が限定的でしかなく、企業や年金といった市場参加者も同様に保有資産の評価額が上がっただけにすぎない、のです。
残るはインフレターゲット政策達成のための市場への(無制限)資金供給の効果ですが、これによって市中への現金等が増加することで貨幣価値が下がりインフレが起こることを期待する、という中学校や高校の教科書に書いてある様なことなわけですが、これが一番懐疑的に思っているのです。
というのも、過去において金融緩和政策を取り続けてきたこの国において、一旦市中銀行にまで資金がたどり着いたとしても、そこから先、すなわち個人や企業に対して資金供給できる唯一の手段である「融資」と言う形でどれだけ信用残高を積み上げることが出来るか、というのが一つ。というのも、企業の手持ち資金の多さから融資への需要がどれだけあるか、もしくは需要を掘り起こすことが出来るのか、また、個人もローンを受けて住宅や自動車などの購入需要と言うのがどれだけあるのか、と言う点で疑問があるのです。この20年で企業も個人も生活防衛の概念がかなり進んだ結果、所有権より利用権への選別が進んだこともあって、融資を受けての投資に対してかなり懐疑的になっている部分が強いのではないか、と思うのです。いわば、借金までして買いたいか?という疑問と常に戦ってきていて今さらそこを変えられないだろう、という点です。
また、銀行側も、融資というものに対して過去の失敗を受けての当局の従前からの指導も含めて、選別的になってきているのも事実でしょう。となると、需要と供給のミスマッチということも起こりえる状況が改善されていないだろうことも考えるべきところです。その意味では銀行が本来の役割であるリスクの調整役になりきれないのではないかという懸念があるように思うのです。
そして、万が一、個人や企業と言った消費の担い手に資金が金融システムからたどり着いたとしても、その購買力をもってモノやサービスの価格が上がるのか、という根本的な疑問をすべきだと思うのです。過去20年にわたってこの国はデフレでした。ものの値段自身、上がりも下がりもしていない、むしろ下がったものの方が多いという実感の中において、今年初めだったかの、日経の調査では20年前のものの再調達コスト、という意味でいれば長期消費財は半額から3割引きになっています。これは、誰もが思うことですが、価格上昇がない中でものの品質の向上が継続的に行われ続けてきた、いいかえると品質の向上とその努力が価格に転嫁されない、従って、売り上げという意味では単価あたりでも総額あたりでも横ばい、で20年が過ぎてきた、ということなのです。サービスにしても同様で、極端な話、高級ホテルのホテルのベルボーイのお辞儀を今ではコンビニエンスストアーですら見る訳ですので、単純に価格の競争だけに限らず、付加価値的質の向上も低価格化の流れに陥っているとすら見えてきます。
その背景はなんでしょう。売れない時代に如何に売るか、という競争が生んだ産物だと考えるべきではあるものの、他方で商品やサービスの供給過多である、ということではないかと考えてもよいように思えるのです。そうすると、資金供給が潤沢に行われて購買力が上がったかに見えるものの、供給がそれを上回れば価格の上方修正は行われづらくなるのではないか、と。オークションを見れば一目瞭然でしょう。たった一つのものを出品して、それが魅力的であれば値段はおのずと上昇します。しかし、魅力的なものであれ多数出品すれば出店者の言い値で売れるものの、そのようなものが多数の出店者によって同じく大量に出されたならば出店者間で価格競争になる、のは自然と理解できるのではないでしょうか。
とすれば、名目的な売上額は変わることはなく、結果として物価も横ばいになる、もしくは購買層が人口の減少に伴って減るに伴って減少し、当然そこから発生する人件費も上昇できるはずもなく、従って従業員や役員の給料もあがることもなく、購買力があがることを期待できるはずもなく、なので質の向上を引き続き期待していく、というトラップから抜け出せない、ようにしか思えないのです。
そう考えると、もはや従来の市場に資金を流し込めばインフレを作り出すことが出来る、という教科書に書かれた世界と違うルールの世界に突入しているのではないか、という気がしているのですがどうなのでしょう。それとも、何か従来のフレームワークの中でも十分機能し得る何かがまだある、というのでしょうか。
まぁ、ざっくりかいつまんだ論点だけの議論にすぎないので穴だらけではあるものの、ご意見お待ちしております。
1 件のコメント:
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