Right question to choose either of Manager or Investment Manager (若しくは、極めて恐ろしい思い込み)

つい最近、日本のプロがかなりヤバい思い違いをしているのではないか、と思う話に出くわした。極めてマニアックな議論なので. Google で検索して辿り着く人もいないような話ですが、書いておけば万が一良心の有る人の目に触れるのでは、と思いこの記事を商売のネタにも関わらず書こうと思いました。それくらい、日本のプロはお気楽というか致命的なミスをしていている可能性があるので。。。


端的に言えばこうです。

Offshore trust のリスクの総量は信託宣言型であっても信託契約型であっても、会社型であっても全部同じ、なのに信託宣言型を軽視しすぎている。


要はこんな事です。

日本の信託は委託者と受託者との間の契約に基づく bilateral form of trust と呼ばれる契約形態のみを取っているので、もし公募の投資信託を海外から持ち込むならば、日本と同様の法制度を持った国の制度に基づいて設定されなければならない、という他国を全く信用しない失礼な制度のおかげで、この bilateral form の信託契約形態の信託しか日本に持ち込めないことになっています。しかし、海外には信託の設定にはもう一つ方法があって、受託者が「信託をうけまーす」と大きな独り言をいったら信託が設定されるという、unilateral form of trust 、日本でいうところの信託宣言型の信託が存在するのです。しかし、日本の信託法では信託は委託者が受託者との間の契約の締結とそれに基づく信託財産の信託行為があって初めて信託が成立する事から、信託宣言型で設定されたものは「公募の投資信託では」持ち込めないのです。

しかし、それは公募の投資信託に関する規定であって、「信託の制度に精通してるからリスクをよく分かっている」若しくは「そんなリスクを膝を詰めてしっかり説明されて理解した上で投資するだろう」金融機関をはじめとする機関投資家や富裕層だけを投資家に入れる少人数私募の投資信託の場合には「よく分かっている」はずだから信託宣言型でもよい、とされています。

で、よくブログで海外投資を知った顔で説明しているブログ辺りでも説明しているように「信託宣言型の投資信託では商品設計に柔軟性があって関係者、即ち日本の法律で必須とされる管理会社を減らす事で費用も抑えて信託が設定される」らしいのです。ふーん。

さて。
ここで落ち着いて考えて欲しいのですが、日本のかなり硬直して自由度のない信託制度から比べれば、確かに海外の信託契約型の信託は関係者の選択などに自由度があるように見えるのですが、果たしてそれは正しい認識なのでしょうか。言い換えると、信託一つを設定し運用するという意味で、信託契約型と信託宣言型との間で設定される信託の追うべき責任や責務に違いがあるのでしょうか。答えは否です。どちらの設定方法であっても、受託者は受益者のために受託資産を保有し、受託者の為に信託勘定を管理運営しなければいけないことは同じである以上、同等の fiduciary duty が存在し、またその義務を全うしなければいけないのです。unilateral かbilateral の違いは、というと、設定時に関係者が一社だけだから受託者が一義的にfiduciary duty を負ってその後関係者に委任する形を取るunilateral form なのか、日本でいうところの委託者と受託者が信託契約(trust deed) を元に最初に委託者と受託者の間でfiduciary duty の分担を決めて、その上で個々に関係者に委任する形を取るbilateral form かの違いに過ぎないのです。

にも関わらず。方や軽いストラクチャー、と認知されてしまったのでしょう。鍵は英語での "Investment Manager" と "Manager" の混同にあるのではないかと思われます。

日本の投信の設定を念頭におくと、"investment manager" と "manager" は事実上兼務していますし、資産運用するのだから「器としてのファンドのコーポレートガバナンス」だってまとめてやるのが当然、という意識があるのだと思いますしそれを暗黙のうちに理解して行っていて、結果として資産運用の一部にとけ込んでしまっているのだと思います。もう一つは、日本の信託銀行に課せられた高度の受託義務も日本の投資信託のコーポレートガバナンスを保つ重要な要素を担っていると考える事が出来ます。

他方、海外ではといえば、ファンドの器の全体のコーポレートガバナンスがまずありき、なので、信託型であっても会社型であっても manager が存在して全体の管理運営を担い、その運用対象が一任運用ならポートフォリオの運用を investment manager にその部分だけ切り出してさせる、ファンド事務(いわゆるアドミ)が必要であれば専門の事務代行会社を任命し、資産の受け皿となるカストディや銀行口座が必要であれば相応の関係者を任命して口座を開く、という作業に移って行くのです。

もう一度言います。信託宣言型の信託や取締役が任命されている会社型であっても、ファンドとしての実務を指示し運営する為に manager や management company が必要です。trustee はもとより取締役が任命されている fund vehicle には手を動かす従業員がいませんから実質名目上の資産保有者としか機能しないのです。そこは日本の信託銀行のように人を雇って受託義務を執行する、というコンセプトがないのです。そのため、管理会社が一義的に動く必要があるのです。言い換えると、manager / 管理会社というのは、当局の届け出のための書類にサインだけする為の役割では決してない、ということです(爆)

特に、2008年の金融危機以降、trustee を提供する銀行は激減しました。というのも、trustee を提供した結果負う可能性のある contingent liability を負い切れない、もしくは本業の銀行業務に影響しかねない、という懸念があるからです。他方でその流れを受けて最近trustee を提供する独立系の会社が見られますが、かかる contingent liability を片っ端からファンドのスポンサーである investment manager などに押し付ける、もしくは trustee の負うだろうリスクをスポンサーに転嫁するスキームを受けることを前提でのみ受任する、という形になっています。そうなると、ファンド全体で負うべき投資家に対する fiduciary duty はtrustee 以外の誰かが負っていることになるのです。もし、日本で認知されている「軽いスキーム」とやらで考えるならば、責任を持ってfiduciary duty を遂行する manager 、すなわち管理会社がいない事になるので、investment manager が知らず知らずのうちに受けていて資産運用の為の運用手数料の一部でその義務を遂行しているか(もしくはそうと知らないので不作為のままでいるか)、ドキュメンテーション上抜け落ちて誰もカバーしていないか(まともなファンド経験のある弁護士がそんな見落としをするとはあまり考えられませんが)、いずれにせよ、コーポレートガバナンスがどうの、とちょうど日本国内で騒いでいる現状を横目でみると、あまり投資家に取って全体のコストが安い、とはいうものの微妙な状態にあるのではないかと思うのです。

日本にいると、安くても質がいい、というのが喜ばれるのはわかるのですがその結果、名目上の売り上げが国全体で増えるとこがなくなり、国の将来の繁栄を犠牲にしていると言っても過言ではないと思います。その流れの中で、適切な報酬を適切なサービスの対価として払う、もしくは適切な対価を払わなければ適切なサービスを受けられずその結果の責任を自らが負う、ということに理解が増える事を期待して止まないのは私だけではないと思いたいです。

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