這い上がれない、のだろうか。

4/25/2009
(注) この記事は 2006年1月24日の記事の再録です。

週末かけて読んだ、もう一冊の本というのは、この本。



日本が破綻する、というシナリオの元、階級社会が日本を支配して。。。
ということなのですが。。。

これと時同じくして、土曜の夜、7:30 から、NHK 総合で
日本の、これから
という番組で、増税に関する議論が行われていて、その中で、ちょうど
国家が破綻するときのシナリオを元にした、「国民総下流時代」を描いていたり
昨日の夜のニュース23で読売新聞の渡辺会長も同じ事を言っていたりしているので
取り上げてみたいとおもいます。


はじめる前に、ひとつだけ。
内容はともかく、この本を読み出して、とある一冊の本を思い出しました。
これです。



この「なぜベス」ですが、よく出来たパロディ本だというのがこの本で再確認できてしまいました。

ええ、著者は高学歴で海外経験も豊富で海外のネットワークもお持ちで、さぞ頭の
良い方でしょうよ、でもさ、そんなのは文章の中身で勝負すればいいものを
いちいち英単語で言い替えて

知識をひけらかさすんじゃねーよ!!!
だったら、最初から全部英語で書きやがれってんでぃ!


と、読むごとに腹を立てなければならない、というところに、ふと同じような本があったなぁ…
あ、「なぜベス」だ(笑)

ということで、この本を読むときには相当の覚悟をしたほうがいいでしょう。
というよりも、もったいないんですよ。こんなことしなくても、事の重要性はちゃんと
読めば伝わるものを、無駄なことに。。。よくいますよね、外国かぶれで
「僕がいたぁ、○○ってところではさ、みんな…(略)」
ってひけらかす奴。だったら、そこにずっといたら?
いられないのは君に問題があってそのコミュニティにすらいられないからでしょ?

。。。あ、だんだんつまらないことでエキサイトしてきた。無駄なことに怒るのはやめよう(笑)
本題に戻るとします。

さて、で、この本ですが、著者が既出の2冊で主張している(らしい、私は読んでないし
これを読んで読む気がなくなりました…)日本の破綻というシナリオを元に、日本の社会構造が
どのように変わっていくかという予想をして、どうすれば、下流階級に落ちないかということが
提言される、はずなのですが。。。

確かに、日本破綻のシナリオは、日本国債(及び地方公共債)の残高のつみあがり
によって、会社で言うところの債務超過に陥ることにより、債権者への支払いが
滞る、というところであり、対外債務が嵩んでしまっていた過去のアルゼンチンや
韓国、ロシアなどなどのケースを思えば IMF の介入などで処理されていった
というハードランディングなシナリオが提示されてもおかしくは無いのです。

が、日本の場合、幸か不幸か、低金利政策のおかげで日本国債の保有者は
(直接証券会社や銀行を通じてか、預金している銀行や生保、投資している投資信託、
果ては保有する株を発行している会社の余資の運用など、間接的であれ)日本国民が
大半になっているらしく(要は1400兆円といわれる家計が既に充てこまれている)、
外国から利払いが滞ったとして怒鳴り込まれて、いわゆるエマージング国のようなことには
いきなりはならないだろうとも言われています。

とはいえ、利払いがなされない、元本が帰ってこない、という債券は買い手がいなくなることで
価格は下がり、そうなることで金利は上昇する、というのは当然のことで、かくて
インフレに突入、というのもありえるシナリオではあるのです。高インフレになれば、
物価上昇は当然起きるものの賃金も適宜上昇することも踏まえれば適度のレベルであれば
昔デフレを緩和するために意図したインフレのようなことにはなるでしょう。
でも、債務不履行となる可能性のある債券が、リスクフリー証券であるような国ですから
確かに破綻はしますね。

で、その流れで持つものと持たざるもので階級社会が出来上がる、ということ
らしいのですが、今だって既にその世界が出来つつある、と思うので
改めて何を言ってるんだろう、という気も実はしています。
よく、80:20 の法則が言われます。たとえば、国民の総預金量の80% が全人口の20% の人によって
行われていて、言い換えれば預金量の残りの20% を80% の人が分け合っている、とか。
そもそもが、現在の金融資産の大半を握っているのが50歳以上の高齢世代であり、
20-30歳代の若年層にはむしろ(カードローンや住宅ローン、サラ金まで)借金のほうが
多い、とされているのです。その時点で大きなギャップが発生しているわけです。
しかも、その若年層ですら、フリーターからIT長者までの幅があるわけで当然その資産量
所得などで綺麗な線引きが出来ているわけです。

都市と地方の所得格差も同じでしょう。

この国が、都市も地方も、老いも若きも誰もが公平で平等だ、という前提をどれだけ信じているでしょう。
その上で、持つものは更に富め、持たざるものは更に貧するのはいつの世にあっても起きている
ことであり、そのものさしが、生まれでた家柄なのか、職業なのか、それとも能力なのか
チャンスなのか、の違いなのは、そういうものでしょう。そのみな公平だというお題目で
共産主義は起こり、内部破綻をきたしたのですし、戦後の日本においても資本主義といいながらも
中央集権型でありながら、票田の理由から都市部で集めた税金を地方にばら撒くことで
地方格差を無くす、という口実をつくっていたのですから、それ自体が国の負債を
作りつづけてきた原因でもあるわけです。

さて、本の中でもちょっと触れられていて、またテレビ番組「日本の、これから」でも
言われていたのですが、国の失政に対する責任は誰が負うのか、という責任問題が
今まで全く問われていませんでした。考えてみれば、当然ではあるのです。
国の方向を決めるのは形式上、国民の代表である議員であり、省庁の役人は
公務員であり、議会の決めたことを執行するだけなのでこれらを決めた議員を
選出した国民が負うべき、というのは確かに道理に合うのかもしれません。

しかし、実際はどうでしょう。
その、「公僕」に過ぎないはずの役人が国の方向性を決める提言をして
議員がそれを丸呑みにして議会を通している、のが大半ですから、提言している
役人の責任のが実際には問われなければならないはずなのです。もしくは
鵜呑みにして選挙民の民意を反映させなかった議員が責任を負うべきなのです。
でも、形式論に戻されるのは、それが民主主義だから、という事なのかもしれません。

いずれにせよ、亡国の徒がそこにいるならば、そして越えられないものがそこにあるならば
どうすればいいか、という結論にとっととたどり着けばいいものの、他国はどうのこうの
というのを延々と論じている著者は、やっぱりそんなに言うならおまえだけ海外逃亡したら?
といわれても当然な気がします。

しかも、結論は、
海外逃亡かクーデターか階級社会を意識しないで甘んじて戦争が起きるまで待つ、か。
。。。なんの解決にもならないじゃないか!

でも、当然でしょうね。階級社会はピラミッドであり、上にいる人間は既得権を
主張するわけですから新たに這い上がろうとする人間は、自分の分け前を
横取りするわけですから蹴落とすのは当然。だからあがるのが大変なのです。

さて、どうしますか?確かに1000円程度の本に答えがあるはずがないんですから(笑)
考えますか…こんな本でも、考えるきっかけをくれたので良しとしますか。


ところで、この本もそうですが、「日本の、これから」にも、ひとつだけ怒らねばならないことがあります。

問題提起をしっぱなしで、結論を与えず、その出たアウトプットも世論にも何にも反映されず、
要は民衆の「ガス抜き」という、ある意味取るに足らない、でも実は民衆にとっては危険でな役目を
しているのです。大声で言うとすっきりする、言ったからもういいや、という気分を作って、
その先のこの国を本当にどうすべきかアクションへの活力をそいでいるのです。
本当にいいのでしょうか。それこそ、過去の失政のつけを払わされることになりかねないのですから…

今後の内容の向上のために、この記事を評価してください。よろしくお願いします。

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