ふと思う。国家って何だろう。

4/27/2015
何を突然、と言われそうですが、このところ、ずっと考えていることの一つが、タイトルの通り、国家、国、って何だろう。何を目的としてその体を維持しているのだろう、と。

で、そんなタイトルで内容なものだから、実は1年以上ずーっと、書き出しから放置してました。でも、このところ、正直腹に据えかねていたものがあって、それを切り口に書くといいのかな、と思い始めて、やっと続きが書き始められました。それは。。。




これを書いている最近はやっと落ち着きましたし、とあるネットニュースでちょっと考え方を修正した、とはあるのですが、Thomas Piketty とその一派が、日本でどういう訳かもてはやされていた、ということです(笑)

いや、正直笑い事とは思えない。経済格差が広がるのは当然、なのは正直なところ、社会の成熟に伴って生じること、というのは過去を見ずとも今の地球上を見るだけでもそのプロセスのいずれのステップも存在する

Step 1: 一部の特権階級とその他大勢の貧困層
Step 2: 引き続き一部の特権階級があるものの中間層の発生
Step 3: 一部の特権階級を頂点としながらも中間層の厚みが増え、貧困層が減っていく
Step 4: 中間層の一部が特権階級に近づくものの、中間層がさらに数が増え、貧困層がごくわずかになる
Step 5: 中間層が徐々に二分化し始め、貧困層が少しずつ増え始める
Step 6: 平均となる中間層が数を減らして上層と下層とのグループが2極化する

のだからわかりきったこと、なのに、格差は是正すべきであり、その格差是正の負担は富裕層に対する懲罰的課税によってなされるべきだ、という論調だから、なのです。共産党の社会の成長に対するビジョンの全くないバラマキ政策提言なら、大抵スルーされるか否決か終わるのでいいのですが、「著名な学者先生が」的なムードでしかものが書けないマスコミが囃し立てるからムードでしかものが考えられない浮動票あたりが変に乗ってしまう、という、あとで泣きを見る展開になりそうなのが目に見えるだけに、頭が痛いと思って見ています。ええ。

で、そこに来て、こんな読みやすそうで刺激的なタイトルの本を、弟子が書いたときている。



ええ、オフショア金融センターをG7 国家から財源を根こそぎ奪い取る邪悪の根元、の扱いをしています。私の商売の邪魔です(笑)

いや、笑い事ではない。謂わば、スイスを頂点としたオフショア金融センターのエコシステムがフランス(を始めとする)健全でなければならない国家の富を吸い取り、結果課税機会を逸したために社会インフラを支えるための財政に悪影響を及ぼした、と。

いや、論調はいったん忘れて、この本が取り扱っている統計情報とその整理はよくできていると思います。ある意味20世紀以降の富の蓄積と資金の流れがどうなっていたか、ということについて、ある一つの見え方を提供したのですから、そこは評価したいと思います。いくらスイスで銀行の秘密保持の特権を奪い、その周辺国で資金流出のための数々の手を打ったとしても結局それを契機にさらなる蓄積された富はオフショアに流出した、という構図にある種の裏付けを提供したわけですから。

ええ、やらなきゃよかったんです。余計なことをするからさらに逃げるんです(笑)

で、この統計学屋さんたちは盛んに口にします。
累進課税による富裕層への課税強化は当然である、と。
でも、その当然とする論拠は何もでてきません。でも、当然だ、と繰り返します。
その、「当然」としてやった結果の資金逃避の事実を見ているにも関わらずです。曰く
「やり方が中途半端だからだ。ルクセンブルクを経済封鎖しろ!これで一発だ」
とだけ言います。あーあ、経済戦争で兵糧攻めです。

だんだん、話がおかしくなってきましたね。この本で言っていることは要はこういうことです。

フランスはただいま財政難です。
富裕層がその資金を昔はスイスに持っていました。今はルクセンブルクを経由して世界中に散らばらせています。
富裕層からお金をふんだくるために懲罰的累進課税などを導入しようとしていますが、隣の泥棒国家が富裕層を手引きするから資金がたくさん逃げてとりはぐれています。
これは隣の泥棒がいけないのであって、国の財政を健全化しようとしない政治家のせいではないのです。なぜかって?僕らの研究のスポンサーだから
だからスイスやルクセンブルクを経済封鎖して手引きさせないようにすれば我がフランスは富裕層にたかってみんなが生活できるようになるのです。

えっと。。。フランスの悪政をすり替えているだけ、ですよね?
でも、これフランスだけじゃないですよね。アメリカもすぐそばのケイマン諸島に富裕層のお金が逃げ、富裕層自身が課税されないようにと国籍を捨てて逃げ、ということが起きているので JOBS 法とかFATCAとかが施行されて、世界中の金融機関に脅迫と協力を求めてなんとかお金の流れを確保しようとしていますし、 FATCA の extra-territorial な、要は自国の外ですら自国の法律を課そうとするワガママし放題はイギリスもすぐに真似して UK-FATCA なんていう、微妙に US-FATCA と違うので二度手間を世界中の金融機関にさせる法律もまかり通るようになったのです。世界中で、だんだん富裕層が指名手配になって逃げられない世界になりつつあるかのように見えますよねぇ。

で、そんなタイミングで、累進課税が正しいのか、それともフラットタックス(一律税率)が正しいか、ということをカナダでディベートした記録を本にしたものが出てきました。

累進課税推進派は、社会インフラに乗って稼いだんだからその負担は多く「すべき」と強硬な顔と口調でいいながら、財政が足りないのだから、「ちょっと」多く払って欲しいだけなんだ、と弱者な様相を見せたディベートを展開しつつ、フラットタックス派は、そもそも累進課税は懲罰的なのだから稼がなくなるし、いかなる手を使ってでも逃れること(例えば、このところあちこちで引き合いに出される、オハマの賢人、ウォーレン・バフェットは累進課税推進派だけれども、納税額は極めて少ないのはその一例である、とか)で該当する高額納税者は極めて少なくなるので累進課税による税収効果はほぼないし、懲罰的になれば社会活動が停滞するので好ましくない、過去累進課税の最高税率を引き下げた頃がアメリカの最盛期であった、と、まぁ、私の胸のつっかえを結構綺麗にさらってくれました。

本によれば、(残念ながら)累進課税推進派がディベートの後でわずかに増えたそうです。

あ、私ですか?もうお分かりの通り、フラットタックス派です。
ちょっとそのあたりをタイトルに絡めて少しだけ主張させていただくならば。。。

国家って、なにするんでしたっけ?国民の生活を守り(共産党がよく言いますよね?)、そのための社会インフラを維持し、秩序を守り、国を守り、そのためのコストを国民が勤労から得た収益をもって負担することで支える、という大きな枠組み、なんだと思うんですよね。シンプルにいうならば。先に言いますが、富の再分配を国の機能に求めるのはおかしい、という立場に立っています。これはまた後ほど。。。

とすれば、国民の「平等な」コスト負担で維持すべき、であって、この平等な、というのが何を指すのかが、累進課税なのかフラットタックスなのか、ですが、正直言えば人頭税が一番いいはずなんですよね。財政の 1億3000万分の1を各人が負担する。投票権だって一人一票なんだし。そうすると、子沢山の家庭が苦しいですよねぇ。としたら、GDP に対して一定率で充足できるレベルでいい訳なのですから、フラットタックスがちょうど良いです。個人的に言えば、会社はいわば社会的導管なのですから、法人税だって不要。ある意味GDP の一部である会社の収益を従業員で分配している訳なのですから、国が思っている会社のイメージが収益を全部給与で分配している、というならば所得税をフラットタックスでかければいいはずです。まぁ、利益留保するインセンティブが高くなるので、同率を法人税にすれば十分ですし、留保された利益の株主への分配はすでに課税後ですから分配金に課税するのは二重課税にもなるし株式投資へのインセンティブも下がるから不要にできるはず、なのです。

でも、今の構造はどうでしょう。
その前に、オフショアの例を見ましょうか。ジャージー島の例でいけば、ファンドに対する課税はなし。なぜか。単に通過するだけのお金なので、GDP 的には何の寄与もないから。そうすると、サービスの対価としてファンドへの業務に対する報酬が会社に支払われますが、これの積み上げがある意味ジャージー島の GDP になる、と思いましょう(他にもジャージーロワイヤルポテトの売り上げとかジャージー牛のミルクとか、いろいろありますが。。。)。ね?なぜファンドに課税する必要がないかはっきりしますし、GDP がこうだ、となれば、法人税も従業員に対して払われる給与に対する所得税もフラットタックスの 18%でおしまい、と言われれば納得できませんか?ちなみに、この18%って、20世紀の一時期にドイツが国内で適用したフラットタックス税率をその当時からそのまま使っているそうです。
で、日本はといえば、個人に課税すると有権者から文句が言われますので、法人税が高め。で、個人の法人税も有権者の多い低中所得者に対しては、それこそ先ほどのジャージー島と変わらない 20%くらいまで(地方税が10%あるので実際はもっと高くなってますね)。その先は 30% / 33% / 40% (に地方税がかかります)。でも、税収が足りないので消費税が 8% (ジャージー島は数年前に 5% が導入されましたが、実はなくとも島の税収は足りてます。周りのイギリスとフランスで導入されていて、この島だけないのがおかしい、と自国の論理を突きつけられた妥協の産物、だそうです)。でも、実際さらに足りないので赤字国債が。。。

よく、出世する、昇給すると手取りが減る、といいますよね。だから出世したくない、という声も聞こえます。というのはこの累進課税の仕掛けのおかげ。働くインセンティブが減る一例ですよね?でも、生活の維持をしないと、とか思うと稼がねばならないのに、稼いだ分以上が自分の手元に入らない仕掛けって、どうでしょう。それってこの国が成長戦略を取ろう、というときに足かせにならないのでしょうか。

逆に、社会保障制度のおかげで働かなくとも補助を受けているケースがありますが、働くと補助が受けられなくなるから働かない、というインセンティブを生んでいる事実があるのですが、どうなのでしょう。もちろん、必要だからという人がいるのもわかるので、一概に、と言う気はないものの、そういう事例を生んでいる社会制度を維持して税収を上げられずにいる、ということに対して、追加の税収の源泉を働く人に求めることのどこが平等なのか、理解に苦しみます。

としたら、相続税のような富の再分配を国が行う、ということの意義はなんなのか?再分配じゃないですよね。不足を補っているに過ぎないんです。社会的に発生したフローとしての資金の一部を税収に回す、という議論ではないんです。前述のウォーレン・バフェットの納税額に対する議論で、彼がキャッシュとして手にした分に対して、彼のストックとして持っている、バークシャー・ハサウェイの株の未実現益も彼の収益として認識して課税すべき、というものが出ていましたが、確かに20%も持っていれば支配的ポジションにあるといいたいでしょうけれども、利益が現金として確定していないものにまで課税しようとしている、というのが理にかなうのか到底疑問です。よくストックとしての資産、株や不動産から得る収益を「不労所得」、働いていないで得た金だから高額の納税をさせるべき、という論調が出ますが、持つこと自体がフローをストックに転換して価格のリスク(大げさに言えば 0になる可能性)を負っているのですから、その根本の違いとリスクを評価できないのがこの議論をおかしくしていると考えます。

とすれば、本来は税収は、前述の本でも求めていますが、その使い方との抱き合わせで柔軟に調整されるべきものであり、足りないからミルク補給を親に求めるがごとく高額納税者のポケットに手を突っ込むような安易なものにすべきではない、と思うのですよ。

なので、国が成長戦略をとること、は昔のように皆んなが富めるようになる、ということを求めているわけではない、ならば、働いて稼ぐことにインセンティブを与えることもない、としたら、本当の成長するのでしょうか。本当に国家とは、社会構造とは、よくわかりません。。。

うーむ。まとまらないし、オチもつかなかった。。。

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