せめて記憶にだけでも

5/20/2009
ちょっと悲しい現実を目の当たりにしたので、せめてブログでだけでも
と思いこの記事を書いています。

私が香港から戻った土曜日。
帰りに家に電話すると、携帯ショップによって今使っている番号の一つを止めて欲しい
という話になった。この番号は店の元番頭氏に貸してあげている番号なのですが
曰く「携帯電話が壊れてもう使わないから」ということでした。

で、ショップについてつつがなく契約を止める、最後のところで念のためと思い
三社祭で盛り上がる店に電話をして確認を求めたところ
「うん、もう番頭氏は亡くなったから」
と。耳を疑いつつも、でもそういう事のようだから仕方がない、ということで
解約手続きをしたのです。

で、家に戻り、荷物も片付け、店に着くと、一部始終を聞かされるのでした。


齢70をとうに過ぎて一人暮らしをしている番頭氏がゴールデンウィークの半ばを
最後に顔を見せなくなったのでどうしたかなぁ、と気になってこの金曜日に
携帯をならしても電話に出ない。
実際に彼のすむアパートにいっても扉が開かないし応答もない。
アパートの大家も神酒所につめていたので代わりに不動産屋に開けてもらうと
部屋は散乱、以上に、既に彼が亡くなっている状態で発見されたそうな。
死後10日ほどたった様子で腐敗も始まっていたらしく、事件性もないことから
部屋の中から出したらそのまま火葬場に送られて冷凍保存されたそうな。
元々未婚で、兄弟も仲が悪い事から葬儀の段取りも悪く、また死体の状況から
特に通夜をやる訳でなく、身内程度で告別式を行ってそのまま火葬する事となった。


このところ親戚等の葬儀にも参列することが少なくなかったことから
それとつい比較せざるを得ないものの、家族や知人が少なくなる高齢者の
葬式はこじんまりとなるのは致し方ないものの、寂しい限りであり
それ以上に、いわゆる孤独死の形となった彼の最後を誰もタイムリーに気づいて
あげられなかったことは、誰もが悔やむところでもあり、また、今そこにある
一つの危機、として考えねばならない問題にも思えるのです。

私は、彼が生きて、店に対して大きな貢献をし、そして静かにこの世を去った事を
ここに記して周知する事しか出来ないものの、これが上記の問題に対して
何かの役に立てばと思いたいところです。

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