国民の羨望と嫉妬の間

4/26/2009
(注) この記事は 2006年6月29日の記事の再録です。

このところ、日本人の国民性というのはここまで下世話で嫉妬深いもの
だったのか、と思うことがあります。

かの中央銀行総裁がとある私募のファンドに資金を拠出していて、
そのリターンが6年で 2.3倍程度だったことなど、いろいろなことに
やいのやいのと騒ぎ立てている、あの件です。

さて、私は人の財布のことなんざ気にもならないものの、
世にはやっている「○○の品格」という言葉を勘案するのであれば
この一連の報道や国会でのやり取り含めて、その国民性の品格を
疑われる位、情けない話なのではないか、と思えて仕方がないのです。

物事をわかりやすくするためによく寓話を使われるのは、この頃の趨勢の
感はあるものの、単純化するには都合がよろしいので、ちょっとやってみましょう。

とある普通の人が、これから売れようと努力しようとしている画家と出会いました。
彼が芸術活動をする為にパトロンが必要で、パトロンとしての見返りに絵を一枚
渡す、ということで、その普通の人が 1,000万円を画家に渡して、画家はそのときの
手元にあった絵を渡したのです。

さて、画家は芸術活動をする一環として、知名度を上げねばならない、ということで
テレビや新聞などに出てはその名を世の中に知らしめ、それとともに、彼の描いた絵の
値段もだんだんあがっていくのですが、その普通の人はそんなことを気にもせず、
たまたまお鉢が回ってきた、国の要職に就いたのです。


さてさて、知名度を上げまくっていた画家が、あるとき法に触れることを犯してしまいました。
さて、そんなときに、要職に就いた彼の手元には法を犯した画家の絵があったのです。


と、考えてみましょう。資産という意味では同じですし、将来において
作者がどうこうなる、と言うことに対して予見し得ないことについても
同じです。たまたま、犯罪を犯した人間の作となるものをもっていて、
かつそれが取得したときよりも価値があがっているということに
ある種の反感を持っていて、それが「国民感情を逆なでする」のにちょうどいい
のであおっている、というように映るのです。

もし、これが半値にさがっていたら?誰も文句は言わないでしょう。
もし、犯罪を犯していなかったら?問題にすらしなかったでしょう。
もし、自分が同じ絵を手にしていたら?同罪になるので文句を言わないでしょう。


さて、中央銀行総裁の財布の中身、ということで、海の向こうの
最近市場で不人気の中央銀行総裁のものが報道されました。
さすがは元地球上最強の投資銀行のパートナーだけあって
なかなかの金額です。これから比べるとかわいいものです。

しかし、市場の番人が市場を相手に自分の財産も殖やせないようでは
却ってその能力に疑問が残る、という話もあるように思うのですが、
それでも、まだ嫉妬心を隠して人の成功をねたみますか?

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