ホワイトリングにみる価値観の裏側に潜む矛盾 - 単純な資本主義から覗くと
(注)この記事は2005年10月12日の記事の再録です。
このネタ、そろそろ書こうかなぁ、と思っていたら、某週刊誌に先に
取り上げられ、また、夕べのJ-Wave の15 minutes のコーナーでも
取り上げられてしまっていたので、慌てて書きます。
ちなみに、まだその週刊誌は読んでませんし、このアイデアは
古くはアイザックアジモフの科学エッセイの一つにある、
アメリカがどうやってインフレと戦えばいいか、
という古いエッセイからヒントをもらっている事を、書き始める前に宣言します(笑)
ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン。
ご存知の方は多いと思います。
著名人が白い腕輪をして、白黒のポートレートに収まっている、あれです。
あのキャンペーンは基本的には、
3秒に一人の子供が貧困により死んでいるその現実を知り、
「貧困をなくす政策をみんなで選択する」意思表示をすること
なのですが、その先にあるものは
最貧国の債務を帳消しにする。
援助の質を高めて量もふやす。
貿易を公正にする。
ことなのです。
さて、ここでは、その志についてどうこう言うつもりはありません。
それはそれ、賛同する人は賛同すべきですし、それで世界がよくなるので
あれば、それはそれでいいことだと思います。
とはいえ、少なくとも一つのキーワードをもとにすると、実はある種の矛盾があるんじゃない?
と思ったのです。
それは、あのホワイトリング、300円ですよね?
確か中国産ですよね?
もし日本であれ作ったらいくらになるのでしょう。
そう、実は、既にここで私たちは
「誰かが自分たちより低い物価水準であることによるメリットを享受している」
という事実の存在も確認すべきなのです。
もし、同じ製品を作るとしたら、当然ながら物価の安いところで作ったほうが
より安価なものが出来るわけで、その論理を使って、ユニクロをはじめ
多くの日本の企業は中国をはじめ、東南アジアの各国に進出し、
工場を建てて物(衣料から機械、そして野菜まで)を作り、日本に輸入し、
国内ではお手ごろな値段で販売しているのです。
貧困と内外の物価の差を取り違えていないかって?
確かに、この議論はその危険性をはらんだものだとは思います。
しかしながら、貧困とは物的生活水準の問題であり、国際間の
物価水準の差とは異なるのは、半年に一度世界の各都市の
物価水準比較を見ればわかるとおり、物価が安いとされるG8の国の
年が果たしてその分だけ貧困であるか?という質問で解決すると思います。
Note: もっと言えば、よく旅行者が使うマクドナルド指数でいうならば
私がこの間いた香港で、big mac のセット(big macとフレンチフライ、そしてドリンク)は
あわせてHKD 20.00- (= JPY 280)。日本だと 500円。といって香港が言うほど貧困な
世界とは思えません。
P.S. で、もうひとつの指数、スターバックス指数だと。。。香港のほうが割高です(苦笑)
さて、資本主義の名の下に、人が商業活動を行うときに、その利潤を求めるために
二つの方法を取ります。
安く買うか、高く売るか。
古くから、国の外に安価で付加価値のあるものを求めているのは、至極まっとうな
行為であるわけで、遠い昔は略奪でしたが、21世紀の今の時代は、如何に
安く手に入れてくるか、そう、物価の安いところにいくか、という問題になるのです。
それは、今で言えば、ホワイトリングを身につけながら、ルイ・ヴィトン(シャネルでも
グッチでもいいですよ)のかばんを探しに全世界のフリーポートで買いあさる人たちと
変わらないのです。
で、本論。
残念ながら、貧困とされる国の物価は安いです。
3秒に一人が亡くなるのと同じくらい、一人が1ドル未満で生活せざるを得ない
ことも報道されています。
その国の、人が死ぬくらいの貧困が解消され、産業国としての基盤が整い、
労働力を世界に提供できるようになり、今のインドや中国のように世界の工場となったとき、
自然と人一人の一日の生活に必要な金額は増えるでしょう。
最初のうちは、輸出先との物価格差は大きいからいいでしょうけれども、
そのうち小さくなります。そうなったら、私たちが安価なものを手に入れられる時代は終わります。
言い換えるならば、貧困が解消された後、その国は解消されただけの状態では
あり続けないでしょう。自分たちだってG8 など、先を走る国のように裕福になりたい
のは当然ですから、何とかして発展しようと努力するでしょう。その結果、最終的には
世界中の物価は理論的には均衡するでしょう。そうなったら、私たちの生活はどうなるでしょう。
ちなみに、いまだ中国やインドでの物価はG8並にはなっていません。
そして、もし彼らが追いついたとしても、その頃にはアフリカ諸国が世界の工場に
台頭してくるでしょう。それは 100 年掛かるかもしれませんが、いつか来るでしょう。
こうやってホワイトリングの目的が果たされたあと、今度は私たちが物価の格差をてこに
楽しんでいた Quality of Life も時間を経て解消されるということも
念頭においておかねばならないのかもしれません。
そこで、質問です。
自分の生活を失ってまでも、それでも他人の生活向上を求めたいですか?
このネタ、そろそろ書こうかなぁ、と思っていたら、某週刊誌に先に
取り上げられ、また、夕べのJ-Wave の15 minutes のコーナーでも
取り上げられてしまっていたので、慌てて書きます。
ちなみに、まだその週刊誌は読んでませんし、このアイデアは
古くはアイザックアジモフの科学エッセイの一つにある、
アメリカがどうやってインフレと戦えばいいか、
という古いエッセイからヒントをもらっている事を、書き始める前に宣言します(笑)
ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン。
ご存知の方は多いと思います。
著名人が白い腕輪をして、白黒のポートレートに収まっている、あれです。
あのキャンペーンは基本的には、
3秒に一人の子供が貧困により死んでいるその現実を知り、
「貧困をなくす政策をみんなで選択する」意思表示をすること
なのですが、その先にあるものは
最貧国の債務を帳消しにする。
援助の質を高めて量もふやす。
貿易を公正にする。
ことなのです。
さて、ここでは、その志についてどうこう言うつもりはありません。
それはそれ、賛同する人は賛同すべきですし、それで世界がよくなるので
あれば、それはそれでいいことだと思います。
とはいえ、少なくとも一つのキーワードをもとにすると、実はある種の矛盾があるんじゃない?
と思ったのです。
それは、あのホワイトリング、300円ですよね?
確か中国産ですよね?
もし日本であれ作ったらいくらになるのでしょう。
そう、実は、既にここで私たちは
「誰かが自分たちより低い物価水準であることによるメリットを享受している」
という事実の存在も確認すべきなのです。
もし、同じ製品を作るとしたら、当然ながら物価の安いところで作ったほうが
より安価なものが出来るわけで、その論理を使って、ユニクロをはじめ
多くの日本の企業は中国をはじめ、東南アジアの各国に進出し、
工場を建てて物(衣料から機械、そして野菜まで)を作り、日本に輸入し、
国内ではお手ごろな値段で販売しているのです。
貧困と内外の物価の差を取り違えていないかって?
確かに、この議論はその危険性をはらんだものだとは思います。
しかしながら、貧困とは物的生活水準の問題であり、国際間の
物価水準の差とは異なるのは、半年に一度世界の各都市の
物価水準比較を見ればわかるとおり、物価が安いとされるG8の国の
年が果たしてその分だけ貧困であるか?という質問で解決すると思います。
Note: もっと言えば、よく旅行者が使うマクドナルド指数でいうならば
私がこの間いた香港で、big mac のセット(big macとフレンチフライ、そしてドリンク)は
あわせてHKD 20.00- (= JPY 280)。日本だと 500円。といって香港が言うほど貧困な
世界とは思えません。
P.S. で、もうひとつの指数、スターバックス指数だと。。。香港のほうが割高です(苦笑)
さて、資本主義の名の下に、人が商業活動を行うときに、その利潤を求めるために
二つの方法を取ります。
安く買うか、高く売るか。
古くから、国の外に安価で付加価値のあるものを求めているのは、至極まっとうな
行為であるわけで、遠い昔は略奪でしたが、21世紀の今の時代は、如何に
安く手に入れてくるか、そう、物価の安いところにいくか、という問題になるのです。
それは、今で言えば、ホワイトリングを身につけながら、ルイ・ヴィトン(シャネルでも
グッチでもいいですよ)のかばんを探しに全世界のフリーポートで買いあさる人たちと
変わらないのです。
で、本論。
残念ながら、貧困とされる国の物価は安いです。
3秒に一人が亡くなるのと同じくらい、一人が1ドル未満で生活せざるを得ない
ことも報道されています。
その国の、人が死ぬくらいの貧困が解消され、産業国としての基盤が整い、
労働力を世界に提供できるようになり、今のインドや中国のように世界の工場となったとき、
自然と人一人の一日の生活に必要な金額は増えるでしょう。
最初のうちは、輸出先との物価格差は大きいからいいでしょうけれども、
そのうち小さくなります。そうなったら、私たちが安価なものを手に入れられる時代は終わります。
言い換えるならば、貧困が解消された後、その国は解消されただけの状態では
あり続けないでしょう。自分たちだってG8 など、先を走る国のように裕福になりたい
のは当然ですから、何とかして発展しようと努力するでしょう。その結果、最終的には
世界中の物価は理論的には均衡するでしょう。そうなったら、私たちの生活はどうなるでしょう。
ちなみに、いまだ中国やインドでの物価はG8並にはなっていません。
そして、もし彼らが追いついたとしても、その頃にはアフリカ諸国が世界の工場に
台頭してくるでしょう。それは 100 年掛かるかもしれませんが、いつか来るでしょう。
こうやってホワイトリングの目的が果たされたあと、今度は私たちが物価の格差をてこに
楽しんでいた Quality of Life も時間を経て解消されるということも
念頭においておかねばならないのかもしれません。
そこで、質問です。
自分の生活を失ってまでも、それでも他人の生活向上を求めたいですか?
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